みなさんには惰性で付き合っている友人はいますか?私にはいました。過去形なのは、ここ4年くらいは会っていないからです。
ネガティブな話しかしない人とは付き合わない
とある友人のグループと、独身時代は半年に一度かそれ以上の頻度で会っていました。その友人たちは10年以上の付き合いで、楽しい思い出もたくさんあります。
でも、ある日気づきました。その友人たちと会うとなんだか気分が落ち込むのです。いつも4人で集まっていたのですが、そのうちの2人がかなりネガティブな傾向がありました。
会えば数時間一緒にいてお茶をしたりランチをしたりします。その間ずっと、職場の誰かの悪口を言ったり、食事をしているお店について文句を言ったり、世間や政府や芸能人に怒っていたり。
たとえばこんな感じ。私の意見ではなくて友人から発せられた言葉です。
- 会社の空調が寒すぎる。妊婦さんがいてその人が暑がりで困る。
- 会社の上司が使えない。コミュ障レベルで耐えられない。
- 会社の同僚が使えない。
- (今いるお店について)空調が寒すぎる。ひざ掛けも置いてないなんて常識がない。
- (今いるお店について)いまどき常温の水を置いてないなんておかしい。
- 結婚したら子どもがほしいという女性が多すぎる(怒) などなど…
こんなネガティブな話が、毎回会うたびに繰り返されます。仕事の人間関係に悩んでて、悩み相談をするとかじゃないんです。たらこもはじめはしっかり聞いて、アドバイスをしたりもしてきました。
しかし、何を言ってもネガティブな思考は止まらず、「でも…」「だって…」「どうせ…」の3Dワードの返事がくるだけ。言うだけ無駄なのです。
彼女たちはただ聞いてほしかったのだと思います。でもたらこはグチのゴミ箱ではありません。ネガティブなオーラを吸い込んでいるうちにこちらまでネガティブな気持ちになってしまうのはごめんでした。
なぜネガティブな思考になるのか
その友人たちは他責傾向が強く、何か悪いことがあるとすべて他人や環境に原因を求めました。第三者から見ると「うーん、それはあなたが悪いのでは…」と思える状況であっても、逆ギレのように他者のせいにします。
思えばこのような他責傾向のある人は世間にはたくさんいます。かくいうたらこも今はだいぶ改善したのではないかと思うのですが、他責傾向が強かった時期がありました。
自分の身に起こった不幸なことはすべて他人のせいで、自分は被害者なんだ、会社や世間はそんなかわいそうな私にもっと優しくして!と思ってました。典型的なかまってちゃんです。
最近読んだ本にまさにそんな「かまってちゃん」について書かれていて、これって過去の私だわ…と恥ずかしくなりました。この本は職場のかまってちゃんの分析とその対処方法について書かれています。おすすめ。
友人は大切。でもネガティブな時間にしたくない
仲のいい友人だからと思ってずっと付き合ってきたのですが、たらこに子どもが生まれたのをきっかけにフェイドアウトすることができました。4年前の友人の結婚式以来、会っていません。
友人は大切です。でも友人と一緒にいる時間も、そのあとの時間もずっとネガティブな気持ちにさせられるのは嫌でした。一緒にいるのが嫌だという気持ちになってしまうなら、一緒にいることも失礼でしょう。
たらこは、その友人たちと会わないという選択をしました。といっても別に絶縁状を渡したわけでもなく、単になんとなくフェイドアウトしただけですが、負のオーラを浴びなくてよくなって、気が楽になりました。
いつかお互い大人になってまた会いたい
かまってちゃん時代のたらこは、仕事もプライベートもうまくいかなくて悩んでいました。病んでいたと言ったほうが正しいかもしれません。被害妄想がどんどん膨らんで、自分の思考で自分を追い詰めていったのです。
そしてその友人たちも同様に、病的なネガティブさがありました。彼女たちに必要なのは、仕事とプライベートの生活を整えること、そしてありのままを受け入れること。良い意味で諦めるというのでしょうか。諦めるといっても、絶望するのではなく、受け入れる。そしてその先に新しい未来が待っているのです。
たらこにはその友人たちに、ネガティブな話はしてほしくないとフィードバックする責任があったのかもしれません。それから逃げてフェイドアウトしたたらこはずるいなとも思います。
もう何年か経ってお互い成長して、彼女たちも自分自身を見つめなおし、希望とともに生きられるようになったら、また会いたいなと思います。